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結婚相談所でアラフォー婚できた仲人の婚活体験談

私、しあわせ結婚相談所カルナの仲人田原の婚活の体験談です

私は、結婚願望が強く、23歳の頃から合コンや友人の紹介、30歳を越えてからは、お見合いパーティへ毎週通いづめの週末を送っていました。

 

そんな不遇の婚活時代は、不幸せばかりを引き寄せていました。ネガティブな思い癖が、またネガティブを呼び込む、そんな悪循環のスパイラルの中で生きていました。満たされていない状態で心が常に渇いていました。

 

私は、うわべは明るい性格でしたが、心の中は、さびしい、空しいネガティブな独女でしたし、バブルの恩恵は何一つなく、全くもてませんでした。そして、焦りとともに、彼がいて、スムーズに結婚していく友人や、同僚に妬みさえ感じるようになり、ますます「性格ブス」(こんな言葉も一時流行りました)になっていったのです。結局、バブルが崩壊するまでに私には、いいことは1つもありませんでした。

 

23歳の時、 中井喜一さんに似た4歳年上の会社の先輩Kさんに夢中になりました。何をしていてもKさんのことしかなく、「もう一生誰も好きになれないだろう」と思うほどでした。私は、人生も恋も全てがうまくいかなかったので、いいなと思う人に肩入れしすぎて「今度こそ運命だわ!今度こそ結婚できる相手だわ」と思いこみが激しすぎたのです。

 

大なり小なり、独女=毒女ではないか?と私はみています

私は、面白い人や出来事を引き寄せるとは思っていたので、見えないアンテナが頭上に立っていて素早く察知しているのだと思ってはいました。当時、この才能を恋や結婚に活かす方向は知る由もなかったのですが・・・。

仕事もダメ、彼もいない、結婚もできない・・・・。

 

できないならできるように努力をすればいいのに、「ここは、私のいる会社ではない、もっと自分の力を発揮できる会社があるはず」なんて、アホなことを考えて、とらば~ゆを毎号買っていました。

 

そんなだから、やる気さえも失って最悪な状況でした。やる気が見えないから、課の上司から呼び出されて「今のままでは●●倉庫にとばすぞ!!」とまで言われました。●●倉庫とは、左遷の場所です。男性もここへ飛ばされたらもう第一線に戻ってくることはできないという窓際族の部署でした。

 

どうしよう・・・・これから。

これから自分どうなってしまうんだろう。

一生独りだったら、どうしよう・・・・・・・。

不安で不安でたまらなかった独身会社員時代。

 

明るい毒舌女の私と崖っぷち独女の私、時々、どっちが本当の自分なの?と自問自答するくらい、ギャップが激しかったです。楽しそうにしているアラフォー、アラフォー予備軍の女性は、常に不安を抱えて生きている。それが、私には痛いほどよく理解できます。

 

私は、いつも「いけるかもしれない」というところまで持ち上げてがつーんと落ちるそんな運命を自分で作り上げては地球の反対側まで行くくらい落ち込んでいたのです。

 

寂しい独女はネガティブな思い込みをする

私は「自分から好きになった人からは好かれない」という思い込みができていました。理想が高いのですから当然と言えば当然なのです。私がいいと思う人は、他の女子もいいと思います。彼には彼の理想があり、やはり一番可愛い人を選ぶのです。だから、狙った相手から好かれないのは当たり前っちゃ~当たり前のことだったのです。

 

ですが、私は「自分から好きになった人からは好かれない」という思いこみを持ってしまい、この思い込みに呪縛されてしまったのです。

 

特にアラフォー独身女性は、長く生きてきた分、思い込みの度合いも深いでしょうし、沢山の不要な思い込みをもっていると思います。うまくいかなかったサンプルがどんど増えているでしょう。

 

人がうらやむような相手と結婚したい

独女時代、いつしか、私は、純粋に「結婚したい」より「人がうらやむような相手と結婚したい」に変わっていました。会社の同期が徐々にゴールインし始め、まだ後輩に先を越されることはなかったものの「結婚できない女というレッテルを貼られているのではないか??」という被害妄想で周りを見返してやるという意識に変わっていたのです。その頃、会社の同期入社のS子からのつてでやった合コンで、国立大学大学院卒で超大手企業に勤めるエンジニアの3つ年上の男性Tさんと出会いました。

 

顔もいいし、背も高い(154の私から見れば175の彼は理想的)。ただ。。。。。。話がつまらない。長く会話をしていると、素直だから突っ込み所満載で、天然な面白みのある人でした。しばらく友達として接していましたが、向こうは、私と付き合いたいというのは分かっていました。よく電話もくれたし、遊びにも誘ってくれました。

 

でも、私は、こともあろうか「やっぱり私は、この程度の人からしか好かれないのかな」と落胆していたのです!!!!常々「大卒で一流企業の男がいい」と言っておきながら、それらが揃った人が現れても話が面白くないというだけで、「この程度の男」に格下げ。

 

「お前は、自分のことを何様だと思っているのだ???」と聞かれたら「それくらい望んでもいいだけの女」と本気で思っていた節があります。自信がないくせにへんてこりんなプライドだけはあったのです。

 

明暗の分かれ目、あわれ高望みな私

私は、自分に誇れるものがないから結婚相手で自分のステータスをもあげようというあさましい考えをしていました。その彼Tさんは、ストライクゾーンが広くて、私は、「つまんないし、やだ」と言って、S子に押しつけて、つきあわせるとこまで持っていってしまいました。

 

1年後、TさんとS子は結婚しました。私は、その時も「よくあんなつまんない人と結婚できるな~」というのが率直な感想でした。

 

でも、35歳位になった時「ああいう人と結婚したら幸せなんだよな~~。穏やかで優しくてくせがなくて。」と、自分の見る目のなさと賢明なS子に激しく後悔をしたのでした。その頃に、ダイヤモンドの原石くんを発掘できる自分だったら、私は、26歳で結婚していたのです。それから長く続く独女時代を過ごさずに済んだのです。

 

いい人がいないのではないです。自分が見逃しているだけです。

 

私が今でいう婚活を始めたのは31歳からでした

この時は、結婚相談所は全く考えておらず、週末のカップリングパーティへ毎週のように行っていました。安いパーティは、質が悪いだろうと男性8000円、女性4000円のところへ行っていたので、結構な出費でした。

 

結婚相談所に対しては、「そこまでして結婚しなくていい」「相談所は、もてない人の吹き溜まり」と自分ももてないくせに言っていました。

 

そして、35歳の時、私は14年間務めた会社を退社しました。お局様と陰で言われてるだろうと思うとプライドが許さなかったというだけの理由からです。浅はかでした。

 

辞めてから、暫くはゆっくりしてと思っていたのもつかの間、その夏、母の直腸がんが見つかりました。田舎の病院で検査を受けたところ、がんが肛門をふさぐくらい大きくて、「手術してみないと先のことは分からない、東京の大病院に行った方がいい」と言われました。

 

東京の大学病院に入院してから2週間後に手術をしました。8時間かかりました。経過は良好で、母は今もすごく元気に生きています。

 

退院して元気になった母は、家でうだうだ独身生活をしている私を激しく罵倒するようになりました。

怠けもの

ぐうたら

人間失格

と毎日のように責めるようになりました。母は、何か言う時、決して私の方を見ませんでした。居間のドアが開くと、母が私の部屋にくるのではないかと、びくっとして生きた心地がしませんでした。

 

そんな時、友人にしつこく勧められて小さな結婚相談所に入会しました

男性は、入会金が30万円に対して、女性は、無料、成婚したら20万円というシステムでした。それでも、私は、いやいや入ったけれど、結婚相談所は、最後の砦だと思っていました。ここで結婚できなかったら、一生独身だと・・・。

 

私は、常に幅1センチの平均台の上を歩いているような崖っぷちな人生感で生きていました。この頃の私は、自分を棚に上げて、イケメンで大卒以上、170センチ以上、年収700万円以上は譲れないと言い張っていました。

 

その結婚相談所である男性を紹介されました。仮にKさんとします。Kさんは、とても私を気に入ってくれました。私は、あまり・・・でした。「自分みたいな年増でなんも取り柄もない私を好きになってくれる人なんて、この先、絶対に現れない」と、変な見栄はあるのに、自分に自信はない、考えること全てが暗くなっていました。だから、そう考えるとKさんを断る勇気が出なかったのです。

 

独りの未来が不安で不安で仕方なかったのです。Kさんを断って、一生結婚できなかったらどうしよう・・・・・。そんな気持ちで付き合って楽しいはずないんです。Kさんにも失礼です。会って、じゃ~ねと別れて、自分の部屋に入ると、空しくてため息をつくだけ。嫌だ、もう会いたくない、一緒にいても楽しくない。

だけど、もう最後の相手だと強迫観念で断れなかったのです。

 

それでもやっぱり結婚は止めると言えず、Kさんが役所でもらってきた婚姻届を差し出してきた時、その瞬間、「これにハンコを押したらおしまいだ!」と、おそろしくてそこにあった雑誌の間に隠してしまいました。

・・・・・・やっぱり、自分に嘘はつけない。そう思いました。

 

Kさんとは、終わりにしました。

 

今度は大手の結婚情報サービスツヴァイに登録しました

入会金が、20万円、月会費13000円のコースを選びました。背に腹は代えられないと思いました。本当にここが「最後の砦」と。結婚が決まらなかったら、20万円と月会費は、無駄になるのです。でも、決まらなくても、行動したことでOKと思える人は、いい社会勉強にはなると思います。

 

しかし、私は、ここに大金を投じた甲斐がありました。ツヴァイで、運命の相手(現在の8歳年下の夫)と出会うことになるのです。めげずに行動した賜物でしょう。そして、ツヴァイは、完全コンピューターマッチングなので、私は「5歳年上まで、5歳年下まで希望」と出しましたが、その時、39歳の私に対して、33歳~38歳の男性が「年上希望」にしていなければ、どんなにしても、年下からの申し込みは来ないのです。

 

私の希望に沿う男性が、仮に1000人いたとしても、相手が私を希望にしていなかったら、マッチングされる相手は、100人いるかどうか。そこを私は、見落としていました。来るマッチング者は、みな42~44歳でした。会社の上司という感じの方ばかりで、私は、会った後の帰り道、いつも肩を落としてトボトボ歩いていました。「これが現実ってもんだよね~~~~」と。

 

私は、それでも大分、大人になったのか?「顔写真を先に見たら誰とも会えなくなる。顔は見ないでプロフィールだけで申し込もう」と、平均月20通くる紹介、ほぼ全員に申し込みをしました。なので、月に1人はお見合いが成立したのですが・・・・・・・。いいなと思う人には断られました。

 

激しく焦り追い込まれ心が病んでいました。「結婚できなかったらどうしよう」と辛くて辛くて。全ての人生が悪かったのです。人間関係も経済的なことも、婚活状況も全て。

 

派遣社員、年収250万 さくら水産独女独り呑み

一時貯金を切り崩して国民年金や税金を払っていたので、友人と飲み会をするなんてこともできませんでした。

その頃、会社帰りに3ヶ月間毎日「さくら水産」へ寄って2合の熱燗と塩からで独り飲みをしました。「さくら水産○○店」の店長も最初女一人はいってきた私にびっくりしていましたが、そのうち「今日も来たか」となり・・・私のことを可哀そうないけず~と思って見てたんでしょうねぇ。注文も毎日、熱燗2合と塩からか魚肉ソーセージなのですが、知ってはいるけどオーダーを聞きに来るという感じでした。

 

ある日、1回だけ「豚キムチ」を注文すると「え??今日は食べるの?」と、店長にすごく驚かれました。いけず~に加えて貧乏だと思われてたんですね。それか、酒を飲む時は食べないおっさん化現象独女と思われていたかもしれない。この時39歳の12月。この翌年の5月に夫と出会ったのです。

 

半年後、行き遅れのシンデレラのチケットを手にするなんて、さくら水産の店長も予想だにしていなかったでしょう。塩からで熱燗2合飲む女に・・・。

 

アロマテラピーが趣味なんて嘘

私が3カ月間の「さくら水産独り呑み」 をしていた時(2005年1月~3月)、派遣社員として行っていた会社は、千代田区にある大手企業の子会社でした。そこで、女性3人で電話のオペレーターをしていました。あとの2人は、バツ一子持ち同士、年齢も同じ、そして「アロマテラピー」という趣味も同じで意気投合していました。

 

最初は、私も仲間に入っていたのですが、やっとの思いで片道1時間以上かけて通勤していたので、仕事をこなすだけで精いっぱいで、ちょっとテンション高めの2人に溶け込めず、自分からも距離を置いていましたし、2人も「なんか暗い」と、私を避けるようになっていました。

 

あまり忙しい職場ではなかったので、2人は、仕事中も「アロマテラピー談義」に花を咲かせていました。2人のうちのAさんは、アロマテラピストの資格を持っていて、もう1人のBさんは、資格を取りたいと思っていたので、とうとう仕事そっちのけで、Bさんは、Aさんに指導してもらいながら資格取得の勉強を始めてしまいました。

 

私は、2人のお陰で「アロマテラピー」のミニ知識がつきました。香りで癒されるならと思い、少しオイルなども買ってみたり、化粧水も手作りしてみました。でも、そこまでで、すごく好きまではいきませんでした。でも、結婚相談所ツヴァイの会報誌 の趣味のところに、「アロマテラピー」と書いたのです。そして、出会った夫は、香りの研究者でした。

 

夫は、年上の女性がいいと思っていました。その会報誌には、数名の年上の女性が載っていたのですが、夫が私を選んだ決め手は、趣味がアロマテラピーだったからなのです。

 

Aさんは、私に対して嫌味を言ったりして私は嫌な思いをしましたが、AさんとBさんという最強のアロマ好き女のお陰で、私は、アロマテラピーを趣味と書くことになったのです。これも夫と出会う伏線としての出会いだったのだろうと、今では、AさんBさんに感謝しています。

 

人は、私のことを強い女だと言います

不遇にもめげずに、どんどん行動して、七転び八起きだからです。でも、それは違います。私は、強くはないです。ただ、強くありたいとは思っています。どうか、私が、強くて運がいいからしあわせを引き寄せられたんだと思わないで読んでください。

 

それでは、まずは、私と夫の出会いから結婚までをダイジェストでおおくりします。2005年5月21日、私と夫とは、出会いました。

 

この日で、私の不遇な婚活時代は、終わったのです。記念すべき日です。絶対に忘れられない日です。ツヴァイの会報誌 に私が掲載されて、夫から申し込みがありました。その時、私が40歳。夫は、なんと!誕生日前で31歳でした。

 

・・・いくら年下希望の私でも、なんだかイケナイことをしてるような気分になりまして、会う前に電話で「いいの?ご両親嫌がるでしょう?」と聞きました。すると、夫は「うちの両親は、そういうことで人を判断しないから全く問題ない」と、言い切ったのです。

 

会って、最初の1時間は、あまりにつまらなくて帰りたい気持ちでいっぱいでした。しかし、それでは年下で童顔の夫に可哀そうすぎるので、もう1軒居酒屋へ行っておけば、それでもう会わないとしてもいいかなと考えました。

 

お酒がはいって、夫も少し饒舌になり、自分が少し前にバツ一の子持ちの女性にプロポーズをしたら、断られた話を始めました。私は、好きという気持ちで悪条件など全くきにしない夫に酔って判断力が鈍っていたのか、「今まで、私が付き合った男とは違う。こんな優しい男はいない。結婚するにはこういう人がいいんだ。」と、自らその場で夫に「結婚しよう」とプロポーズしてしまったのです。「あ、やっぱり嘘」とも言えないですし、言ってしまった自分にさほど驚きもしませんでした。

 

あんまりお奨めはできない行動力ですが、アラフォー独女は、酔って判断力を鈍らせるというのも結婚に弾みをつける方法かと思います。

 

物事、結果オーライ。結婚は、ばくちだ!と思ったりもします。

 

長く付き合って1年で別れる人もいれば、私たちのような夫婦もいます。ただ、長く付き合った場合、きちんと相手を理解していれば、リスクは少ないってだけの話です。アラフォー独女は、そんなのんきなことを言っていたら、お墓へ入る歳になってしまいます。

 

結婚は、判断力の欠如

再婚は、記憶力の欠如・・・・誰がいったんだったか?

 

是非、判断力を鈍らせる訓練もしてください。

 

今までの私は一緒にいて面白くないと思った時点で、断っていました

しかし、「しあわせ~と心から感じる相手」 を求めていたから、まずは、夫と出会いました。出会っただけでは、序の口です。そこで、どう感じるか?です。「面白くない」これだけでは、今までと同じ。何も変わっていません。

 

夫の優しさやほんわかしたところ、口下手だけど、一生懸命自分のことを話すところ、それも良く見せようともせず、ふられて心が折れた話です。そういう夫の「いいところをクローズアップ」できたから、マイナス面(面白くないところ)に目を向けなくなったんです。そういう自分に変わったから、出会っただけでなく、結婚相手として見ることができたのですね。

 

実は、いい人は、周りに沢山いるのです。それを無意識にいい人を見ない自分になっているから、気付けないだけです。「こういう人じゃなきゃダメ」を刷り込んでいるから、目の前にいい人が現れても、いいところを見ようとしないだけです。

 

それから、よく「ここまで独身できて今さら、妥協できないわ」と言う方がいます。独女時代の私も含めて、アラフォー独身女性に多い言葉です。それは、そう他人から思われることに、プライドが許さないだけのことです。多分、他人は、そんなこと気にも留めていません。同じアラフォー独身仲間が、そう思うとしたら、ただの負け惜しみです。どんなへちゃむくれだろうが、しあわせは、掴んだもん勝ちです。

 

だから、妥協なんて上から目線な言葉を使わないで、フラットな気持ちで相手を見て下さい。自分だって、完璧じゃないのだから。それなのに、自分だけ棚に上げて相手に希望を言い過ぎるのは、おかしな話です。

 

私たちは、お互い様夫婦、破れ鍋に綴蓋。でも、それでいいの、2人がしあわせなら。

 

11月22日「いい夫婦の日」に入籍を果たしました

5月21日に会ってから、9月の末には夫の両親と会い、何の反対もなく「40歳まで何してたの?」という突っ込みもなくスムーズに結婚話は進み、11月22日「いい夫婦の日」に入籍を果たしました。

 

私40歳、夫32歳、出会いから半年後のことでした。私の結婚に一番驚いたのは、私の両親でした。私の母は、夫に「こんなのどこが良かったの?」と聞いていました高校時代の友人も、いつまでもつか分からないからといまだに、お祝金をくれていません。

 

周りの驚きは、ごもっともな話です。なぜなら、私自身が一番、奇跡が起きたと思っているのですから。結婚してから、離婚したいと思ったことは一度もなく(夫はどうか知らないが)多分、このまま、平和にしあわせに続いていくのだろうなという確信があります。

 

最近、夫に聞いて驚いた話があります。付き合っていた頃、土日のどちらかしか会えなかった週、私は会えない日の朝5:00から「今日、会えないなんて、私・・・もぬけの殻」とかメールを送っていたらしいのです!(全く記憶がない。)そして、返事が来ないと(当たり前、朝の5:00)「返事」「返事」「返事くれなきゃバカ!」と連打していたらしい。(これは、かすかに記憶あり。)

 

夫は、本当によくぞ、こんな腐りかけの果実みたいな私と結婚を決意してくれたと思います。私は、自らこの結婚を「たぶらかし婚」と言っています。だって、みんなに「どうやって騙したの?」って聞かれるんです。

 

毎日安心して穏やかに暮らせる相手がいちばんです。私は、夫のプロポーズを断ったバツ一女性に感謝しています。だから、夫が私のもとへきてくれたから。

 

そう、アラフォー結婚の良さは、寂しい過去という布石がある分、今の幸せ感が何十倍にも増すことです。それは、25~30歳くらいで穏やかに結婚へすすんだ女性には、多分、分からない「寂しさと空しさと不安と焦りとプライドの傷」を乗り越えて結婚した最大のギフトだと思います。

 

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女性自身 2014年7月8日号

女性自身 2014年7月8日号

「40歳からのサバイバルお見合い」の特集記事で3ページにわたり掲載されました。

 

十勝毎日新聞 2016年12月16日号

十勝毎日新聞 2017年12月16日号

十勝毎日新聞で婚活図書出版について掲載していただきました。


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