
昔の思い出。「数学0点が学年(450人)に2人いる」と、高校3年の期末テストのあと、数学の先生が、答案を返しながら言った。すぐに私が、そのうちの1人だろうと、答案をもらう前に思った。もう1人の0点の主は、他のクラスにいたのだが、「もう1人は奈美だ」と思ったと廊下で会うなり言われた。だから、私は、もう1人の仲間を見つけ出せるはずがなかったのだが、そのもう1人の0点の主から「ねえ、奈美数学0点でしょ!」って、言われて分かったのだ。
彼女は今、医者の妻。40歳まで結婚できなかった私は、この彼女と自分の「差」に悩み苦しんでいました。私・・・十勝の進学校に行っていたんですが、成績は下の下でした。彼女は、多分その時だけ0点で大学へ進学しました。
私は、とにかくダメ人間だったんですよね、結婚前。今はましかもと自分でも思いますが。そんな私が今考えることです。自分は完璧ではないと、人は完璧ではないと言いながら、完璧でありたいと思っている、心の底で。
だから怒られるとむっとなる。この私に言うか~~?!と。でも、そうよ、私は完璧じゃあないんだから、怒られることもあるのが当たり前。完璧でありたいであって、完璧じゃないんだ。でも、完璧に近いくらいに根っこは思ってる、こと仕事に関しては。このそう反する思いが、自分を苦しめる。
完璧でありたいね、でも、完璧じゃない、間違ったりもします。って、はっきりと認めたら、怒られてもむっとならない。「は、はい、すみません。これから直します」って。で、相手の不完全さだけが目についたのは、自分が不完全だから。
今は、自分が不完全と認めているから、相手が不完全でもそうよね、みんなそうよねって言えるから、人の駄目なところばかりを気づいても追及しなくなったようです。
人は、自分だけでは何も経験できない。しあわせも誰かといると気づくように、不幸せも誰かといることで起きて。そう考えると、ままならないことがあっても、仕方ないよね。
よく言う思いが現実になるというのも、たくさんの人と一緒に生きている中で、絡み合ってできていく現実、自分が今のままネガティブなことを考えて生きているより楽しく生きることを選択すれば、100%願いなど叶わないけれど、それでも、前の自分よりはいいでしょう?その程度に思っておいた方がいいと思う。昨日の自分より今日の自分が楽に生きられるかのことだと思うのです。
時間とともに現実への考え、見方が変わる。今不幸と思っていても未来は、きっと今の経験を財産と思っている。私には、辛かった婚活が今の仕事では財産となっているように。あの経験がなければ、私は会員たちの気持ちが分からないと思うから。
小粒人間でOK!できた人と話してて面白い?なんかおっちょこちょいだったり、抜けてる人や不完全な人の方が面白いし、自分も気楽でしょ?この人の前では、ちゃんとしてないといけないって緊張する相手だと楽しく話せない。ってことは、自分も不完全なほうが、周りの人は付き合いやすいと思ってくれるよ。